テレビを見ていて思うこと

傷つけるのを恐れ、傷つくのを恐れて、批判されないように、悪く思われないように、言葉を選び、控えめに、みんなと同じ意見で、目立たないように、嫌われないように、気を使って生きている時代である。

好き嫌いをハッキリ言うことさえ「差別」と批判され、組織や社会から仲間外れにされることもある。

「嫌われる勇気を持て」と言った人の生き方を真似てやってみれば、大好きだった人を怒らせてしまい、大きな後悔している人もいる。

みんな疲れて、へとへとになりながら暮らしている様子だ。

言葉はダイナマイトや核エネルギーと一緒で、平和に利用すれば人の生活に大きく貢献するが、争い事に使えば、相手だけではなく自分をも大きく傷つけてしまうこともある。

教育によって差別用語を取り締まり、傷つく人を無くそうというのなら、それは良い事なのかもしれないが、美しく優しい言葉の下で誰が何を考えているのか分からなくなり、ただ悪意が潜在化するだけではないだろうか。

「悪意を持って酷い言葉を使う者は、私に軽蔑されることで社会的に制裁を受けるがいい。そして、それで勘弁してやろう」

そんな物の考え方も上から目線ではあるのだろうが、少なくとも平和的である。

悪意ある言葉を使う者を法律で裁き徹底的に断罪して社会から抹殺する必要があるとは思えないのだ。

平成も終わろうとしている日本が、最近、少し怖いのである。